哲学
哲学を勉強し始めてから抱いてきた疑問が、大森荘蔵を読んで何となく解消されたような気がする。と同時に、抽象的なイメージとして自分の中にあった考えが巧みな言葉で紡ぎ出されていく様を見て感動した。これまでずっと科学的なモノの見方と現象学的なモノ…
ある事象を理解することや知覚が完了するためには、一般的に客観的対象があり表象を通してその意味に至るといった経路が考えられている。しかし大森荘蔵は対象と表象の二元論的構図に異議を唱える。表象が対象から剥がれ落ちるのではなく、我々は対象そのも…
久しぶりに大森荘蔵を読んでみた!哲学とは、科学とは何かについての記述が何とも鮮やか。 ごく日常的なありふれた経験がある。たとえば、今私の前には本が積み上げられていたり、スマホでこうしてブログを書いている。これは私の生の経験であって、主観と客…
特別に毎週月曜日と水曜日、で1~2人の学生相手に無料レッスンをすることになった。今回の学生は1人だけだったということもあり、お互いのことや言語学習の感想なども語り合いながら授業を進めた。最初はひらがな50音から始めたんだけど、あ行~さ行の…
現代では「科学的に証明されている。」という見出しが付けば、それだけで何か権威のあるモノといった印象を受ける人が多い。「科学」があまりにも崇拝され過ぎているように感じる。科学はすごいというものではなくて、客観性・再現性を備えているが故に便利…
なんとなく、ドラゴンボール超の最終回を見直していた。最後は悟空とフリーザの共闘でジレンを倒してなかなか感動的だった。さらに、最後の悟空とベジータの戦闘シーンは、一番最初にベジータが地球にやってきた時を思わせる構えでかなりファンを楽しませて…
全てを調査した訳ではないが、おおよそどの言語にも疑問詞はあると思われる。ふつう疑問詞は相手や何らかの事象をよく理解できないときに使用する。疑問詞を用いることで、それまで理解できていなかったことがわかるようになる。この疑問詞、日本ではよく5…
カントをはじめとするハイデガー以前は、芸術を主観的な手法で捉えようとする試みが盛んであった。つまり芸術を目の前にしたときに生じる感動は、認識者が自身の過去の経験に照らし合わせることで生まれるといったような認識者を主体とした説明がなされてい…
数年前に鷲田清一が「折々のことば」で紹介していた。英語の自動詞に受動態はないが、日本語の「死ぬ」には「死なれる」があることから、「死」の意味とは残された者のそばから生じるものといった内容だったような。死の経験の原型が、死んだ当人よりも残さ…
芸術は虚構とされることが多い一方、現実の模倣(ミメーシス)と言われることもある。確かに風景画や銅像とかはそれの元が存在してるので、その元から作られたものは模倣と言える。このことについてアリストテレスは模倣(ミメーシス)を「具体的且つ構成的な…
世界とは様々な諸状態が混ざって混沌としている聴覚的世界。つまりメロディのように流れる流動的な世界ともいえる。そこには主観も客観もないただ「持続」があるのみ。だけど言葉や我々の認識はそれを切り取って把握する。つまり視覚的世界。言葉は便利だけ…
芸術は現実世界からの逃避などと捉えれることがあり一般的に虚構と認識されている。そんな虚構を目にしたときに感動するというのはどういうことか。我々には何が起こっているのか。著者によると芸術が語るものは虚構ではなく、忙しない日々の生活の中で立ち…
我々には記憶の能力があるからこそ知覚が成り立つ。何かを認識するということは、差異を見出す必要がある。たとえば初めは自分の左側にいたAさんが歩いて右側に来た時、元にいた場所と移動したあとにいる場所では違い(差異)が生じている。この差異があるか…
言語は語り得るものに対してはおよそ明晰に語り得るが、語りえないものにたいしては沈黙しなければならない。次元で考えるとわかりやすい。一次元は点の世界。二次元は線の世界。三次元は立体。アインシュタインの登場で時間が四次元に加わり、時間と空間を…