Tai-Maxの日記

私たちは日々の生活の中で膨大な量の情報にさらされています。知りたいことがあればインターネットを使ってすぐに調べることができます。まさに情報社会です。 しかしそんな情報に対する私たちの態度はどうでしょうか。 簡単に手に入る情報を鵜呑みにしてしまったり、そもそもよく調べないまま上辺だけの知識に留まってはいないでしょうか。 情報に対して受動的ではなく、能動的な態度で挑もうというのが『思考日記』のテーマです。 ここでの内容はあくまで個人的見解なので、異論は受け付けます。 ​皆さんも一緒に思考してみてください。

【思考日記】言葉は事態を歪める〜『物と心』〜

久しぶりに大森荘蔵を読んでみた!哲学とは、科学とは何かについての記述が何とも鮮やか。

ごく日常的なありふれた経験がある。たとえば、今私の前には本が積み上げられていたり、スマホでこうしてブログを書いている。これは私の生の経験であって、主観と客観の隔たりのない純粋な状態。科学はここから一歩踏み出す。たとえばこの経験を言語で表現してみる。「私は積み上げられた本を見ている。」この操作によって何が行われたのかというと、それまでの生の経験が時間・空間に固定された。つまり、誰でもどこでも観察できる状態となった。この科学的な操作を受けた「経験」はもとの生の経験とは異なっていて、そこには匂いや色などもない無機質な形式が残っているだけ。

以上のことを哲学的な品詞で表してみると、

「私は本を見ている」→「私は(物理的)本を 本の姿(知覚像)として見ている」→「主観(物理的)対象 現象(認識)知覚作用」となる。興味深いのは、科学が生の経験とは違った疑似体験を対象にしているにも関わらず、つまり、両者の間には決定的なズレがあるにも関わらず、この世界では全く破綻していないということ。