【思考日記】言語研究の方法論『国語学言論』
久しぶりに時枝の『国語学言論』を読み返してみた。最初の言語研究の態度のところがすでに圧巻。すべてを説明できる万能な理論などは想定せずに、観察対象によってアプローチは変える必要があるとのこと。確かフッサールも同じようなことを言っていたような。それも恐らく、現象学的な方法論が前提にあるからだと思う。時枝の理論にも現象学的な性格は反映されているように感じるけど、研究態度からしてすでに、その場その時の立ち現れ(大森荘蔵の言葉を借りれば)を重要視している。また言語とは何かを問うにあたって、言語を構成していると考えられている音声や形態、語彙などを先ず分析して、その総和として言語の本質が見えてくるとする研究方法に一喝している。つまり、言語の本質を問いたいのに、既に構成要素を列挙してしまっている時点で、全体像を決めてしまっていると時枝は言う。まだ要素還元主義・構成主義的な考え方はロジックが単純なためか根強く残っているけど、それでは物事の本質は見えてこない。社会物理学や複雑系などでも、全体は要素の総和以上のモノという研究結果がいくつも出ている以上、まずは何となくでいいから全体像を予測したうえで、個別の現象に下ろしてきて、常に予測と観察結果を対比しながら真の全体像をとらえていくという態度が必要。