【思考日記】疑問詞は世界認識のための型~人は5次元を語れない~
全てを調査した訳ではないが、おおよそどの言語にも疑問詞はあると思われる。ふつう疑問詞は相手や何らかの事象をよく理解できないときに使用する。疑問詞を用いることで、それまで理解できていなかったことがわかるようになる。この疑問詞、日本ではよく5w1hって言われてるけど(hは形容詞や副詞の数だけ疑問文を作ることができるが)、これは我々人間の思考の限界というか、世界認識の型を表してるんじゃないかと思う。つまり我々は疑問詞で確認できること以外はそもそも認識できないのではないかということ。言語学的に考えると次のように言える。如何なる文でも疑問文に変換できる可能性がある。たとえば、「私は昨日友達と公園でサッカーをした。」この文はあえて5wすべてが使えるようにしたけど(who, what, where , when, why)、どんな文(命題)も何らかの疑問詞で聞くことが出来るはず。こう考えると疑問詞は事態認識のための観点を提供してくれるものと言える。逆に言うと、これらの観点以外に事態を認識する方法を人間は持ち合わせていない。言葉では4次元(空間+時間)までしか語ることが出来ず、故に我々の世界認識も4次元に閉じ込められている。