【思考日記】『芸術の哲学』~模倣に在る本質性~
芸術は虚構とされることが多い一方、現実の模倣(ミメーシス)と言われることもある。確かに風景画や銅像とかはそれの元が存在してるので、その元から作られたものは模倣と言える。このことについてアリストテレスは模倣(ミメーシス)を「具体的且つ構成的な本質呈示」と分析している。元を模倣することによって我々はより具体的な元の認識をすることができるようになり(再認識)、そこに生身の経験や感性が溶け合い感動を覚える。たとえば富士山を見ようとするとその周りにある景色も一緒に見てしまう。認知的に言うと周りの風景は地(ground)で富士山は図(figure)となる。風景は富士山により際立ちを与える。だけど富士山がキャンバスに収められるとそこには図しかなくなる。単純に眺めるときは周りと調和して存在していた富士山が、キャンバスの中では周りとの調和ではなく富士山そのものの生命力みたいなものを直に感じ取ることが出来る。それは単に元を模倣しただけではなく、具体的に富士山の力を呈示してるから。図地から図のみを切り取ることで図は単独の生命力をこちら側に提示してくる。より具体的に、本質的に。ベルクソンを敢えて引き合いに出すと、すべてのモノ・コトは絶えず流動的である。それを芸術という認識の仕方で切り取ることによって流動的だったものを固定することが出来るようになる。つまり模倣は単なるコピーではなく、能動的で創造的な意味付けであると言える。