Tai-Maxの日記

私たちは日々の生活の中で膨大な量の情報にさらされています。知りたいことがあればインターネットを使ってすぐに調べることができます。まさに情報社会です。 しかしそんな情報に対する私たちの態度はどうでしょうか。 簡単に手に入る情報を鵜呑みにしてしまったり、そもそもよく調べないまま上辺だけの知識に留まってはいないでしょうか。 情報に対して受動的ではなく、能動的な態度で挑もうというのが『思考日記』のテーマです。 ここでの内容はあくまで個人的見解なので、異論は受け付けます。 ​皆さんも一緒に思考してみてください。

【思考日記】美の所在『芸術の哲学』~感動のメカニズムはあるのか~

芸術は現実世界からの逃避などと捉えれることがあり一般的に虚構と認識されている。そんな虚構を目にしたときに感動するというのはどういうことか。我々には何が起こっているのか。著者によると芸術が語るものは虚構ではなく、忙しない日々の生活の中で立ち止まって潜在的な自己を反省するための発見する装置だと主張する。

主客の対立に話をもっていくのも合っているのかわからないけど、芸術的なモノをみて感動するという経験はどちらかというと主観的なものであると言える。でも個人の領域を超えて万人が感動する作品や景色があるのも事実。またかつては感動していたものも年を重ねると感動しなくなったり、その逆もある。たとえば日本人は紅葉を美しいと感じる一方、外国には紅葉の文化がないところも多い。でも外国人が日本に紅葉目的で観光に来たりもする。要するに紅葉には人を感動させる力があるってことは一定認められる。音楽や詩、絵とかはどうだろう。これは人によって好みが大きく分かれるように思う。あ、待って。結局感動って対象の側にあるものではなくてやっぱり認識する人物の側にあるんちゃうかな。紅葉のような景色は毎年または見る角度によって見え方は変わってくることは多少あるけど、たとえばさっき挙げた音楽、詩、絵ってのは固定化されている。だから感想が変わる原因は対象ではなく自分の中にあると考えられる。その時の生活状況やそれまでの経験と相対的に感動力が変わってくる。このことで一応、個人レベルの感動は説明できると思うけど、じゃあ万人が感動するメカニズムとはどういうものだろうか。やっぱり人類普遍的に素晴らしいと感じるなにかがあるのか。それとも歩んできた人生が違うとはいえ、同じ社会を形成しているそして恩恵を受けているってことは、結局みんな同じような人生を歩んでいるんじゃないのか。