【思考日記】犯人は多数決で決まっている!?~科学と現象学~
現代では「科学的に証明されている。」という見出しが付けば、それだけで何か権威のあるモノといった印象を受ける人が多い。「科学」があまりにも崇拝され過ぎているように感じる。科学はすごいというものではなくて、客観性・再現性を備えているが故に便利、と形容したほうが良いと思う。要するに、いつでも、どこでも、誰でもソレを観察できればそれは科学的と言われる。でも真剣に考えないといけないのは、純粋に客観的な物など存在しないということ。モノは観察されて(対象化されて)初めてモノとなる。つまりモノとなるには観察者の存在が不可欠である。観察者はいずれの場合においても人間であって、人間であればだいたい同じように知覚すると我々は経験的に(直感的に)知っているから、厳密な主観性は排除されてしまう。その社会に埋没された主観性を重要視しているのが現象学であり、現象学は平均化された人間の知覚ではなく、個々人の1回限りで不安定な知覚を観察の対象としている。その学問的性格が故に、現象学が科学を凌駕することは今後もおそらくないであろう。どちらが優れているという話をしている訳ではない。ただここで少し考えてみたいのは(少し脱線することにはなるが)、日本の有罪率は90%を超えるという。アメリカは50~60%くらい。このうち冤罪はどれくらいあるのだろうか。実際にはシロであっても、大勢の人がクロだと言えばクロになる。ここでも現象学をおさえて科学が優勢を保っている。つまり科学は多数決と言える。もっと個々人に寄り添うためには現象学的な考え方で世の中と付き合っていく方がよい。