Tai-Maxの日記

私たちは日々の生活の中で膨大な量の情報にさらされています。知りたいことがあればインターネットを使ってすぐに調べることができます。まさに情報社会です。 しかしそんな情報に対する私たちの態度はどうでしょうか。 簡単に手に入る情報を鵜呑みにしてしまったり、そもそもよく調べないまま上辺だけの知識に留まってはいないでしょうか。 情報に対して受動的ではなく、能動的な態度で挑もうというのが『思考日記』のテーマです。 ここでの内容はあくまで個人的見解なので、異論は受け付けます。 ​皆さんも一緒に思考してみてください。

「苦手」を克服する最強の方法~俺流~

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突然ですが、 今の友達とどうして友達になりましたか。

今の恋人とどうして恋人になりましたか。

 

まあ色々理由はあるだろう。

中でもよく挙げられるのは共通の趣味である。

 人は何か共通点があると好印象を抱きやすくなる。

 

今回は、共通点のマジックを使って

英語嫌いの人を英語好きに変えて見せようと思う。

 

学校で習う科目の中で、英語が一番苦手という人や嫌いという人は必ずどの学校にも一定数いる。

でもよく考えてほしい。

英語は言語である。

言語は苦手とか嫌いとかいう形容詞では通常語られない。

学校で勉強しているが故に、

言語というよりもむしろ「科目」としての印象が強いのだろう。

 

たしかに単語や文法などを覚えるのは大変な作業である。

どうして英語はこんなにも日本語と違っているんだと感じてしまう。

文字、文法、語順、発音など日本語とは異なる点が多くある。

しかしよく考えてみると、実はかなり似ているということも分かる。

これは英語に限らず、世界中で話されているどの言語にも当てはまることである。

それはどの言語にも、品詞(名詞や動詞など)があり、

同じような文法項目(過去形、進行形、受け身、仮定法など)があり、

語順も大別すればSVO、SOV、VOSなど、数パターンしかないということだ。

これは驚くべきことではないだろうか。

なに?驚くべきことではないだと!?

いや、驚くべきことなのだ!!!

現在、世界には約7000の言語があると言われており、

その全てに上記のような特徴があると仮定されている。

すごくない?

なに?すごくないだと!?

いや、すごいのだ!!!

もし言語同士がお互いに全く異なっているのであれば、

そもそも翻訳など不可能である。

まずは、日本語と英語は全然違うという認識から、

似ているという感覚を身につけてみよう。

そうすると今度はパズルのように、両者の対応関係が見えてくるようになる。

 

相違点は際立ちが強いため見つけやすいが、

何事にも共通点を見出す癖をつけると、

ポジティブなフィードバックが得られるようになる。

 

 

俺って小栗旬に似てるよなー

雨乞いの儀式をすると100%雨が降る!?

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個人的に、スポーツは先天的な才能や遺伝に依る割合が大きいと思っている。

練習すればある程度までは上達しても、

どうしても超えられない壁というのはあるだろう。

たとえば今から私が無天老師様の修行を受けたところで、

100mを9秒台で走ることは不可能である。

ãç¡å¤©è師 ä¿®è¡ãã®ç»åæ¤ç´¢çµæ

 

でもそれ以外のことなら、

本気を出せば出来るんじゃないかという気がしている。

 

本気を出せば。

 

 

ところで、南米アマゾンのある部族は

水不足になると雨乞いの儀式をするらしい。

 

そして、その成功率は100%だそうだ。

 

何でか分かる???

 

 

 

 

 

答えは

 

 

 

 

「雨が降るまで儀式を続けるから」

 

 

 

つまり、本気を出すというのは出来るまでやるということ。

 

 

 

 

さて、今日も本気でツチノコ探そ。

 

机の上に座らないで!!

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ドアストッパー

小学生の時、よく机の上に座っていて先生に注意された。

どうやら机は座るものではないらしい。

でもこの時の私にとって、机はある意味で「椅子」として機能していた。

というよりも、私が「椅子」としての機能を見出した。

ある特定の用途のために作られたものを、別の目的のために使うといった経験は誰にでもあるだろう。

上の例でいえば、本来は勉強したりご飯を食べたりといったことを想定して作られた机を、椅子替わりに使うということである。

他にも例を挙げると、

定規(=ハサミ)で紙を切ったり、

新聞紙(=武器)でゴキブリを叩いたり、

彼氏(=Amazon)にジュースを買ってきてもらったりなど、、、

 

いや、最後のは違うかもしれん。

 

 

このことを「アフォーダンス」という。

(*生態心理学で有名なギブソンが提唱した概念)

ギブソンの定義によると、アフォーダンスとは

「あるモノに対して人間が選択し得る行為の可能性」のことである。

ここで重要なのは人間の主体的なモノの捉え方である。

捉え方次第でモノは様々な機能を持つようになる。

そして、アフォーダンスは物理的な物だけに有効というわけではない。

「ピンチはチャンス」とよく言うが、これもその1つである。

 

常識をブチ壊して、様々な可能性と出会おう。

 

 

そういえば、そろそろトイレットペーパーなくなるわ。

あ、でも読み終わったジャンプがあるからまだ大丈夫か!

ミステリーの楽しみ方

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最近、友達に紹介されて「あなたの番です」というドラマにはまっている。

*以下、若干ネタバレあるから気を付けて!!

 

次、行くで。

 

 

知らんで。

 

 

 

あるマンションの住民会で、お互いに殺したい人の名前を書き、それを交換するというゲームをした日から、次々と名前を書かれた人が殺されていくというもの。

シーズン1の最終エピソードで主人公の1人も殺されてしまった。

視聴者の中では誰が犯人なのかについて様々な「オラウータンタイム」(推理)が行われている。

エピソードによって鞄のかけ方が違うとか、音声解析したりだとか、感動するほど細かく分析されている。

そしてもう1つ、犯人が判明した時に、エピソードの中からではそもそも推理不可能だったときの落胆だけはやめてくれよとの声がある。

材料がないのに調理は出来ないのと同じように、

これまで張られてきた伏線はしっかり回収してほしいし、視聴者でもよく考えれば犯人が予想できるというくらいのものがいちばん面白い。

でも、たとえ推理不可能だった結末になったとしても、アレコレと推理をしてその推理を検証するために続きのエピソードを見るというのがミステリーの楽しみ方ではないだろうか。

ミステリーは作品そのものを楽しむというよりもむしろ、自分の中で「作品」を創り上げることこそが楽しいのではないだろうか。

違うだろうか。

いや、絶対そうだ。

 

ちなみに⇩は私が超オススメする作品です!!

 

『ソフィーの世界 哲学者からの不思議な手紙』を読んだのは高校生の時だが、今でもあの時の衝撃は覚えている!!!

厳密にはミステリーではないかも知れないが、ミステリー的に読める哲学入門書である。

まあまあボリュームはあるが、諦めずに読めば「えっ?・・・うそやん?」ってなること間違いなし。

 

 

まぁかれこれ7年以上、小説は読んでないし、どちらかと言えば映画化されるのを待っているタイプだが、、、

地球に就職してみた。

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人間とは何か。

何のために生きるのか。

この種の問いは生きている限り問い続けていきたいし、最終的には自分なりの答えを見つけたい。

でも、そもそもこの問いの立て方があまりよくないような気もしてきた。

そこで思いついた解決策は人間の生活圏を超えてみること。

生物時計はなぜリズムを刻むのか によると、普段の生活では時計に縛られた生活をしている我々だが、時計から隔離された環境で生活を強いられても、体内時計によっておおよその時間を把握することが可能であるとのことである。

これが可能なのは自然の周期(日の出と日没や季節の変化)に合わせて、人間がプログラムされているからである。

人間の中だけ見ても、様々な生理現象があえて時間をずらして起きるように設定されている。

寝ている間は体温や肝機能などが低下し、なるべく寝ることだけに集中するようにできていたりする。

すべての生理現象が同時に起きることを防いでいるのだ。

他の生物に目を向けてみると、マツヨイグサという植物は蛾やほかの夜行性の生物に受粉を助けてもらうために、日が落ちる頃に香りを放つ。

彼らのような夜行性の生物の生活リズムは昼行性の生物と反対であり、あたかも交替しながら地球という職場を24時間体制で管理しているかのようである。

このように、「人間」だけでなく、地球上の生物を全体的(ホリスティック)に見てみると、それぞれの種が地球という生活環境を維持するための要素となっており、独立した生き物ではなく、むしろ相補的な関係であるということが分かる。

ここに生物間のダイナミックな連鎖を感じる。

種類は全く違うのに(種類分けは人間が人為的に行っただけだが)ここまでくると我々人間さえも、地球を運営するための1つのコマのような気がしてくる。

「人間とは何か」という問いは、比喩的に言うと、企業全体の中の一事業について問うているだけで、そこから生産的な議論は生まれないし、答えが出たところでそれは単なる一要素でしかない。

それよりも、企業の一事業として、何をすべきか。

地球を円滑に運営していく上で、人間としてどう振る舞うべきかを考えた方が何かスッキリせーへん?

動物や昆虫は私たち人間の同僚だ。

 

 

ゴキブリは容赦なく殺すけど。

なぜ人は音楽に感動するのか

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なぜ音楽は聴いていてこんなにも楽しいのか。

当然なかなか耳になじまない音楽もある。

感動する音楽とはどんな音楽か。

自分なりに考えてみた。

人間は音楽を聴く際に、初めて聞く音楽でもこれまでの経験から、次にどんな音が来るのかをだいたい予測することができる。

これはAメロからBメロ、そしてサビといった曲全体の構成についても言えるし、単音やコードのレベルでも言える。

つまりC→Gのコード進行がきたら次はAmかな、といった感じに。

『音楽の科学』によると、我々は自身が所属するコミュニティの音楽に慣れ親しむことで、後天的にこのような予測の能力を身につけていくという。

人間は自分の予測が当たると嬉しいと感じる。

つまり快の刺激を得る。

でも予測が当たりすぎると、それはもはや未知ではなく当たり前のものとなっていく。

そうすると今度は飽き始める。

退屈な音楽になり得る1つの要因として、曲の進行が簡単に予測できるということが挙げられる。ここで「感動する音楽」にあるもう1つの要素が裏切りである。

予測していた音とは違った音が聴こえたとき、人はその曲の未知性に興奮する。

これからどうなっていくのかと、まるで冒険するかのようにワクワクしてくる。

サスペンス映画や推理小説でも同じことが言える。

予測していた展開と違っていると、どういう結末になるのかとワクワクしてくる。

ある程度の予測が可能な状態で不意に裏切りが訪れる時、人はそのギャップに魅了される。この絶妙なバランスが「感動する音楽」を創り上げている。

 

あ、実は俺、寝る直前にコーヒー飲んでも

爆睡できるタイプやねん。

 

ギャップに魅了された?

「こそあど」は迷子にならない!?

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自分に近いものは「こ」。

自分から少し離れているか、聞き手の側に指示対象がある時は「そ」。

遠くにあるものや、聞き手との共通の事柄について話している時は「あ」。

そして指示対象が不明確な場合には「ど」を使う。

これらは言語学の用語でダイクシスと言われている。

ダイクシスは使用場面によって相対的に使い分けられ、微妙な遠近の誤差はあるにしても日本人であれば「こ」を言う場面で「そ」を言うといった言い間違いは絶対にしない。

ある人や物の名前が瞬時に思い出せないことはあっても、ダイクシスが思い出せないということはない。

むしろ何かを思い出そうとするとき、我々は「あのー、アレやん、アレ。」と言っている。つまりダイクシスは感覚的な言葉と言える。例を挙げよう。

A:「ちょっと本取って。」

B:「え、どれ?」

A:「それその机の上にある本。」

B:「あー、これか。」

 

A:「あの人の名前、何やったっけ。」

B:「どの人?」

A:「先月飲み会した時にCさんと一緒に来てた人。」

B:「俺その飲み会行ってないから分からんわ。」

 

これらの場面において、下線で示したダイクシスを他のダイクシスと言い間違えることはないと思われる。それくらい身体に染み込んでいるダイクシスだが、中国語の場合、日本人の感覚ではあり得ないくらいにその使用法は柔軟である。

日本人:「今天你穿的裙子很可愛。」

(今日履いてるそのスカート可愛いな~)

台湾人:「不可愛,我才可愛對不對。」

そのスカートが可愛いんじゃなくて、私が可愛いんやろ。)

 

日本人:「我的一些朋友的話, 他們有想要喝酒的感覺的時候,突然來到我家開始喝酒。」

(俺の友達は酒飲みたくなったらいきなり俺ん家来て飲み始めるで。)

台湾人:「很好笑。你的朋友一直都這樣子嗎?」

(めっちゃおもろいやん。アンタの友達いっつもこんな感じなん?)

 

*日本人=TaiMax

 

この文脈で①「它」(それ)②「這」(こんな)を使うのは日本人の感覚からすればあり得ない。①は自分が履いているスカートな訳だから「これ」になるはずだし、②はその場には存在しない友達のことで、且つ「日本人」の友達であるわけだから「そんな」にならないといけない。

 

これに関して直接台湾人に聞いてみると、

「中国語では別にどっちでも大丈夫。」と返ってきた。

 

ザッケンナ!!

ナンデドッチデモダイジョーブヤネン!

 

ダイクシスはどの言語にもあるし、外国語を勉強する際には最初の方で学習する文法項目である。翻訳的に日本語の「こそあど」と対応付けるのは安直すぎるんちゃうか。

 

ところで、それ👇👇台湾で有名なお土産やから、

もしよかったら買ってみて。

あそこをクリックしたら買えるようになってるし。