Tai-Maxの日記

私たちは日々の生活の中で膨大な量の情報にさらされています。知りたいことがあればインターネットを使ってすぐに調べることができます。まさに情報社会です。 しかしそんな情報に対する私たちの態度はどうでしょうか。 簡単に手に入る情報を鵜呑みにしてしまったり、そもそもよく調べないまま上辺だけの知識に留まってはいないでしょうか。 情報に対して受動的ではなく、能動的な態度で挑もうというのが『思考日記』のテーマです。 ここでの内容はあくまで個人的見解なので、異論は受け付けます。 ​皆さんも一緒に思考してみてください。

地球に就職してみた。

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人間とは何か。

何のために生きるのか。

この種の問いは生きている限り問い続けていきたいし、最終的には自分なりの答えを見つけたい。

でも、そもそもこの問いの立て方があまりよくないような気もしてきた。

そこで思いついた解決策は人間の生活圏を超えてみること。

生物時計はなぜリズムを刻むのか によると、普段の生活では時計に縛られた生活をしている我々だが、時計から隔離された環境で生活を強いられても、体内時計によっておおよその時間を把握することが可能であるとのことである。

これが可能なのは自然の周期(日の出と日没や季節の変化)に合わせて、人間がプログラムされているからである。

人間の中だけ見ても、様々な生理現象があえて時間をずらして起きるように設定されている。

寝ている間は体温や肝機能などが低下し、なるべく寝ることだけに集中するようにできていたりする。

すべての生理現象が同時に起きることを防いでいるのだ。

他の生物に目を向けてみると、マツヨイグサという植物は蛾やほかの夜行性の生物に受粉を助けてもらうために、日が落ちる頃に香りを放つ。

彼らのような夜行性の生物の生活リズムは昼行性の生物と反対であり、あたかも交替しながら地球という職場を24時間体制で管理しているかのようである。

このように、「人間」だけでなく、地球上の生物を全体的(ホリスティック)に見てみると、それぞれの種が地球という生活環境を維持するための要素となっており、独立した生き物ではなく、むしろ相補的な関係であるということが分かる。

ここに生物間のダイナミックな連鎖を感じる。

種類は全く違うのに(種類分けは人間が人為的に行っただけだが)ここまでくると我々人間さえも、地球を運営するための1つのコマのような気がしてくる。

「人間とは何か」という問いは、比喩的に言うと、企業全体の中の一事業について問うているだけで、そこから生産的な議論は生まれないし、答えが出たところでそれは単なる一要素でしかない。

それよりも、企業の一事業として、何をすべきか。

地球を円滑に運営していく上で、人間としてどう振る舞うべきかを考えた方が何かスッキリせーへん?

動物や昆虫は私たち人間の同僚だ。

 

 

ゴキブリは容赦なく殺すけど。