Tai-Maxの日記

私たちは日々の生活の中で膨大な量の情報にさらされています。知りたいことがあればインターネットを使ってすぐに調べることができます。まさに情報社会です。 しかしそんな情報に対する私たちの態度はどうでしょうか。 簡単に手に入る情報を鵜呑みにしてしまったり、そもそもよく調べないまま上辺だけの知識に留まってはいないでしょうか。 情報に対して受動的ではなく、能動的な態度で挑もうというのが『思考日記』のテーマです。 ここでの内容はあくまで個人的見解なので、異論は受け付けます。 ​皆さんも一緒に思考してみてください。

なぜ人は音楽に感動するのか

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なぜ音楽は聴いていてこんなにも楽しいのか。

当然なかなか耳になじまない音楽もある。

感動する音楽とはどんな音楽か。

自分なりに考えてみた。

人間は音楽を聴く際に、初めて聞く音楽でもこれまでの経験から、次にどんな音が来るのかをだいたい予測することができる。

これはAメロからBメロ、そしてサビといった曲全体の構成についても言えるし、単音やコードのレベルでも言える。

つまりC→Gのコード進行がきたら次はAmかな、といった感じに。

『音楽の科学』によると、我々は自身が所属するコミュニティの音楽に慣れ親しむことで、後天的にこのような予測の能力を身につけていくという。

人間は自分の予測が当たると嬉しいと感じる。

つまり快の刺激を得る。

でも予測が当たりすぎると、それはもはや未知ではなく当たり前のものとなっていく。

そうすると今度は飽き始める。

退屈な音楽になり得る1つの要因として、曲の進行が簡単に予測できるということが挙げられる。ここで「感動する音楽」にあるもう1つの要素が裏切りである。

予測していた音とは違った音が聴こえたとき、人はその曲の未知性に興奮する。

これからどうなっていくのかと、まるで冒険するかのようにワクワクしてくる。

サスペンス映画や推理小説でも同じことが言える。

予測していた展開と違っていると、どういう結末になるのかとワクワクしてくる。

ある程度の予測が可能な状態で不意に裏切りが訪れる時、人はそのギャップに魅了される。この絶妙なバランスが「感動する音楽」を創り上げている。

 

あ、実は俺、寝る直前にコーヒー飲んでも

爆睡できるタイプやねん。

 

ギャップに魅了された?