メロディ思考で人生を奏でる
哲学者ベルクソンは、この世界は主観や客観のないシームレスな経験の総和といった。
本来すべての事象、経験は切れ目のない地続きのものであって、それを人間がどう分節するか(言語化=分節作業)によって事態の現れ方が変わってくると説いた。
分節するにあたって重要な能力は記憶という。
今の状態を前の状態と比較することで、両者に差異が認められ、それらは別のものとして認識される。
そこから時間が流れ始める。
ベルクソンはこのことを音楽に喩えた。
音楽のメロディはその音1つ1つを聴いたのではメロディとして認識されない。
メロディになるためにはマクロ的な視点でチャンクとして認識しなければならない。(*チャンク:大きな1つのかたまり)
単音は絶対的であるが退屈である。
単音ばかり聞いていてもそれを音楽とは言えないだろう。
それに対してチャンク化された音はそれぞれが相対的であり、前の音から高くなったとか、低くなったとか、その「緩さ」を楽しむことができる。
つまり単音で聞いた時のドの音と、メロディの中で聞いたドの音は明らかに異なっており、後者の方が生き生きとしている。
故にメロディである。
つまりはある事態をどの視点で見るかによって景色は変わる。
固定化された1つの視点で物事を眺めるのではなく、もっと自由な視点から眺めることで日々の生活も楽しくなり、楽観的に生きていくことができる。
人生をメロディ化してみよう。