世界は毎日 消滅と誕生を繰り返している!?
朝、太陽の光で目が覚めていつも通りに出社し、夕日が沈む頃にコンビニでビールを買って帰宅する。
この日常の中で、自分が死んだ後も在り続ける物はなにか。
太陽の光のまぶしさ、出社時の気だるさ、ビールの美味さ、これらは全て個人の知覚によるものであるため、「私」が死んでしまうと、これらも同時になくなってしまう。
では会社やコンビニやビールといった物はどうだろうか。
これらは知覚ではないため、いわば個人による知覚の領域を超えての存在物であるため、「私」の死後も在り続けるのか。
たとえば、「私」以外の誰かが死んだとき、「その誰か」が感じていた太陽のまぶしさやビールの美味さは消滅する一方で、会社やコンビニは何一つ形を変えることなく在り続けている。
私以外の「誰か」の場合はそうである。
しかし、その「誰か」が「私」になると事情は大きく変わってくるように思えるのである。
「私」の死後は、「私」による全ての認識が失われるので、太陽のまぶしさやビールの美味さだけでなく、会社やコンビニといった物まで消滅する。
「私」の死=世界の終わりである。
しかし、「私」の誕生=世界の始まりでもある。