Tai-Maxの日記

私たちは日々の生活の中で膨大な量の情報にさらされています。知りたいことがあればインターネットを使ってすぐに調べることができます。まさに情報社会です。 しかしそんな情報に対する私たちの態度はどうでしょうか。 簡単に手に入る情報を鵜呑みにしてしまったり、そもそもよく調べないまま上辺だけの知識に留まってはいないでしょうか。 情報に対して受動的ではなく、能動的な態度で挑もうというのが『思考日記』のテーマです。 ここでの内容はあくまで個人的見解なので、異論は受け付けます。 ​皆さんも一緒に思考してみてください。

世界は毎日 消滅と誕生を繰り返している!?

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朝、太陽の光で目が覚めていつも通りに出社し、夕日が沈む頃にコンビニでビールを買って帰宅する。

この日常の中で、自分が死んだ後も在り続ける物はなにか。

太陽の光のまぶしさ、出社時の気だるさ、ビールの美味さ、これらは全て個人の知覚によるものであるため、「私」が死んでしまうと、これらも同時になくなってしまう。

では会社やコンビニやビールといった物はどうだろうか。

これらは知覚ではないため、いわば個人による知覚の領域を超えての存在物であるため、「私」の死後も在り続けるのか。

たとえば、「私」以外の誰かが死んだとき、「その誰か」が感じていた太陽のまぶしさやビールの美味さは消滅する一方で、会社やコンビニは何一つ形を変えることなく在り続けている。

私以外の「誰か」の場合はそうである。

しかし、その「誰か」が「私」になると事情は大きく変わってくるように思えるのである。

「私」の死後は、「私」による全ての認識が失われるので、太陽のまぶしさやビールの美味さだけでなく、会社やコンビニといった物まで消滅する。

 

「私」の死=世界の終わりである。

しかし、「私」の誕生=世界の始まりでもある。