【思考日記】死刑をする人・される人
死刑制度に賛成か反対かということではない。
たしかに死刑されるからにはそれなりの理由があるのだろう。
では死刑囚が死刑されない場合のデメリットは何であろうか。
収監しておくための税金がかかることや、遺族による遺恨などか。
では死刑された場合のメリットは何であろうか。
もちろん税金はもはやかかってこない。
しかし死刑囚が死んだところで遺恨はなくなるだろうか。
おそらく状況はさして変わらない。
むしろ憤りの対象がいなくなることで、余計苦痛に感じるようになるかもしれない。
ただもし自分の家族が殺された場合、正直言っておそらく私も殺人犯に対する死刑を求刑するだろうと思う。むしろ自分の手で殺してやりたいというくらいの気持ちになると思う。
ハンムラビ法典に書かれている「目には目を」理論である。
死刑制度そのものより恐ろしいのは、死刑執行するためにこれまで様々な道具が作られたり、方法が成されてきたことである。
死刑の目的は死刑囚の死であるため、手段は何でも良いはずなのに、これらの様々な手段はまるで死への過程を楽しんでいるかのような印象を受ける。
その「楽しみ」は公開処刑にも表れている。
さらに気持ちが悪いと思うのは、死刑されるのも人間であり、執行するのも人間であるということだ。
後者の人間のどこが偉いのか。
何が優れているのか。
秀でているものがあるといっても、所詮それらは人間が人間社会で作り上げた恣意的で無根拠な能力であろう。