【思考日記】写真好きは「今」を生きていない現実逃避者!?
人はどうして日記を書くのか。
人はどうして写真を撮るのか。
どちらもその時その場の情景を固定化しておくツールである。
後で見返すため?
ではどうして見返すのか。
文字や写真に残すことなく、心に留めておくだけではだめなのか。
なぜなら結局、日記や写真を後で見返すのはその時の事を思い出すためなのだから。
日記や写真がないと思い出しづらくなる?
ではなぜ、そもそも思い出したいのか。
それらは全て過ぎ去った過去であり、容姿も風景も変わってしまっているかもしれないのに。
(*ちなみに私は日記も書くし、写真もまあまあ好きです。)
いやむしろ、変わっている(変わっていく)ということを知っているから、変化のない固定化された落ち着いた過去を見たいのかもしれない。
あるいは、「生きている」とは裏を返せば常に死と向き合っているということだから、
日記や写真を残すことで、自分の存在した証を世界に残したいという欲求なのかもしれない。
日記を書く・写真を撮るという行為自体は、単純に「好きだから」「楽しいから」といった娯楽の要素が強いと思うけど、思い出に固執するというのはおそらく人間のみが行う行為である。
人間という種の存続にとって何か重要な意味があるのかもしれない。
知らんけど
皆さんが写真を撮る理由は何ですか。
日記を書く理由は何ですか。