【思考日記】動物と人間の違いとは!?言語の観点から。~『言語と人間』沢田充茂~
沢田充茂の『言語と人間』の中で、判断や推論は言語なしでも、知覚さえできれば可能ということが言われており、故に動物も判断や推論を行うことは出来るという。
たとえばネコにおもちゃのネズミを差し出した時、見た目はネズミであるが匂いは異なるといった判断は容易に行われる。
しかし、何か物事を概念化する心の働きは人間にしかできないという。
概念化は知覚ではなく、言語を通して行われるものだからというのが沢田の主張である。
判断や推論は眼前の現象から知覚を通して行われる心理的な働きであるのに対して、
概念化は観察可能な物理的な対象と言うのは存在せず、すべて頭の中で行われる作業であり、そのため頭の中に概念化の対象がなければならず、それが言語であるという。
この主張はおもしろいと思ったけど、判断・推論・概念の定義がきちんとされていないから、どこからが概念化なのかといった境界線が見えず、個人的には判断や推論にも概念化は入ってきているんじゃないかと思ったりもする。
さらに大森荘蔵は「概念」みたいな言葉を排除して一元論的な世界の捉え方を目指していたのだが、大森によると、眼前に現れる風景も頭で思い浮かべられる風景も同じとのこと。
前者は知覚的に現れているのに対し、後者は想起的に現れているだけである。
故に過去や未来の出来事も全て「今」に収めることができる。
「今」想起的に現れていると考えることで、物と心の一元化を図ったのである。
想起的な立ち現れに言語が寄与していることは間違いないが、
言語があるから想起的な立ち現れが可能になるというのはいささか行き過ぎな議論のように感じる。
動物と人間の違いを論じる際に、「言語ありき」「思考ありき」みたいに
トップダウンな手法で語られることが多いけど、この方法論だと議論をする前から
すでに両者を区別してしまっており客観性に欠ける。