Tai-Maxの日記

私たちは日々の生活の中で膨大な量の情報にさらされています。知りたいことがあればインターネットを使ってすぐに調べることができます。まさに情報社会です。 しかしそんな情報に対する私たちの態度はどうでしょうか。 簡単に手に入る情報を鵜呑みにしてしまったり、そもそもよく調べないまま上辺だけの知識に留まってはいないでしょうか。 情報に対して受動的ではなく、能動的な態度で挑もうというのが『思考日記』のテーマです。 ここでの内容はあくまで個人的見解なので、異論は受け付けます。 ​皆さんも一緒に思考してみてください。

「こそあど」は迷子にならない!?

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自分に近いものは「こ」。

自分から少し離れているか、聞き手の側に指示対象がある時は「そ」。

遠くにあるものや、聞き手との共通の事柄について話している時は「あ」。

そして指示対象が不明確な場合には「ど」を使う。

これらは言語学の用語でダイクシスと言われている。

ダイクシスは使用場面によって相対的に使い分けられ、微妙な遠近の誤差はあるにしても日本人であれば「こ」を言う場面で「そ」を言うといった言い間違いは絶対にしない。

ある人や物の名前が瞬時に思い出せないことはあっても、ダイクシスが思い出せないということはない。

むしろ何かを思い出そうとするとき、我々は「あのー、アレやん、アレ。」と言っている。つまりダイクシスは感覚的な言葉と言える。例を挙げよう。

A:「ちょっと本取って。」

B:「え、どれ?」

A:「それその机の上にある本。」

B:「あー、これか。」

 

A:「あの人の名前、何やったっけ。」

B:「どの人?」

A:「先月飲み会した時にCさんと一緒に来てた人。」

B:「俺その飲み会行ってないから分からんわ。」

 

これらの場面において、下線で示したダイクシスを他のダイクシスと言い間違えることはないと思われる。それくらい身体に染み込んでいるダイクシスだが、中国語の場合、日本人の感覚ではあり得ないくらいにその使用法は柔軟である。

日本人:「今天你穿的裙子很可愛。」

(今日履いてるそのスカート可愛いな~)

台湾人:「不可愛,我才可愛對不對。」

そのスカートが可愛いんじゃなくて、私が可愛いんやろ。)

 

日本人:「我的一些朋友的話, 他們有想要喝酒的感覺的時候,突然來到我家開始喝酒。」

(俺の友達は酒飲みたくなったらいきなり俺ん家来て飲み始めるで。)

台湾人:「很好笑。你的朋友一直都這樣子嗎?」

(めっちゃおもろいやん。アンタの友達いっつもこんな感じなん?)

 

*日本人=TaiMax

 

この文脈で①「它」(それ)②「這」(こんな)を使うのは日本人の感覚からすればあり得ない。①は自分が履いているスカートな訳だから「これ」になるはずだし、②はその場には存在しない友達のことで、且つ「日本人」の友達であるわけだから「そんな」にならないといけない。

 

これに関して直接台湾人に聞いてみると、

「中国語では別にどっちでも大丈夫。」と返ってきた。

 

ザッケンナ!!

ナンデドッチデモダイジョーブヤネン!

 

ダイクシスはどの言語にもあるし、外国語を勉強する際には最初の方で学習する文法項目である。翻訳的に日本語の「こそあど」と対応付けるのは安直すぎるんちゃうか。

 

ところで、それ👇👇台湾で有名なお土産やから、

もしよかったら買ってみて。

あそこをクリックしたら買えるようになってるし。