Tai-Maxの日記

私たちは日々の生活の中で膨大な量の情報にさらされています。知りたいことがあればインターネットを使ってすぐに調べることができます。まさに情報社会です。 しかしそんな情報に対する私たちの態度はどうでしょうか。 簡単に手に入る情報を鵜呑みにしてしまったり、そもそもよく調べないまま上辺だけの知識に留まってはいないでしょうか。 情報に対して受動的ではなく、能動的な態度で挑もうというのが『思考日記』のテーマです。 ここでの内容はあくまで個人的見解なので、異論は受け付けます。 ​皆さんも一緒に思考してみてください。

ミステリーの楽しみ方

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最近、友達に紹介されて「あなたの番です」というドラマにはまっている。

*以下、若干ネタバレあるから気を付けて!!

 

次、行くで。

 

 

知らんで。

 

 

 

あるマンションの住民会で、お互いに殺したい人の名前を書き、それを交換するというゲームをした日から、次々と名前を書かれた人が殺されていくというもの。

シーズン1の最終エピソードで主人公の1人も殺されてしまった。

視聴者の中では誰が犯人なのかについて様々な「オラウータンタイム」(推理)が行われている。

エピソードによって鞄のかけ方が違うとか、音声解析したりだとか、感動するほど細かく分析されている。

そしてもう1つ、犯人が判明した時に、エピソードの中からではそもそも推理不可能だったときの落胆だけはやめてくれよとの声がある。

材料がないのに調理は出来ないのと同じように、

これまで張られてきた伏線はしっかり回収してほしいし、視聴者でもよく考えれば犯人が予想できるというくらいのものがいちばん面白い。

でも、たとえ推理不可能だった結末になったとしても、アレコレと推理をしてその推理を検証するために続きのエピソードを見るというのがミステリーの楽しみ方ではないだろうか。

ミステリーは作品そのものを楽しむというよりもむしろ、自分の中で「作品」を創り上げることこそが楽しいのではないだろうか。

違うだろうか。

いや、絶対そうだ。

 

ちなみに⇩は私が超オススメする作品です!!

 

『ソフィーの世界 哲学者からの不思議な手紙』を読んだのは高校生の時だが、今でもあの時の衝撃は覚えている!!!

厳密にはミステリーではないかも知れないが、ミステリー的に読める哲学入門書である。

まあまあボリュームはあるが、諦めずに読めば「えっ?・・・うそやん?」ってなること間違いなし。

 

 

まぁかれこれ7年以上、小説は読んでないし、どちらかと言えば映画化されるのを待っているタイプだが、、、

地球に就職してみた。

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人間とは何か。

何のために生きるのか。

この種の問いは生きている限り問い続けていきたいし、最終的には自分なりの答えを見つけたい。

でも、そもそもこの問いの立て方があまりよくないような気もしてきた。

そこで思いついた解決策は人間の生活圏を超えてみること。

生物時計はなぜリズムを刻むのか によると、普段の生活では時計に縛られた生活をしている我々だが、時計から隔離された環境で生活を強いられても、体内時計によっておおよその時間を把握することが可能であるとのことである。

これが可能なのは自然の周期(日の出と日没や季節の変化)に合わせて、人間がプログラムされているからである。

人間の中だけ見ても、様々な生理現象があえて時間をずらして起きるように設定されている。

寝ている間は体温や肝機能などが低下し、なるべく寝ることだけに集中するようにできていたりする。

すべての生理現象が同時に起きることを防いでいるのだ。

他の生物に目を向けてみると、マツヨイグサという植物は蛾やほかの夜行性の生物に受粉を助けてもらうために、日が落ちる頃に香りを放つ。

彼らのような夜行性の生物の生活リズムは昼行性の生物と反対であり、あたかも交替しながら地球という職場を24時間体制で管理しているかのようである。

このように、「人間」だけでなく、地球上の生物を全体的(ホリスティック)に見てみると、それぞれの種が地球という生活環境を維持するための要素となっており、独立した生き物ではなく、むしろ相補的な関係であるということが分かる。

ここに生物間のダイナミックな連鎖を感じる。

種類は全く違うのに(種類分けは人間が人為的に行っただけだが)ここまでくると我々人間さえも、地球を運営するための1つのコマのような気がしてくる。

「人間とは何か」という問いは、比喩的に言うと、企業全体の中の一事業について問うているだけで、そこから生産的な議論は生まれないし、答えが出たところでそれは単なる一要素でしかない。

それよりも、企業の一事業として、何をすべきか。

地球を円滑に運営していく上で、人間としてどう振る舞うべきかを考えた方が何かスッキリせーへん?

動物や昆虫は私たち人間の同僚だ。

 

 

ゴキブリは容赦なく殺すけど。

なぜ人は音楽に感動するのか

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なぜ音楽は聴いていてこんなにも楽しいのか。

当然なかなか耳になじまない音楽もある。

感動する音楽とはどんな音楽か。

自分なりに考えてみた。

人間は音楽を聴く際に、初めて聞く音楽でもこれまでの経験から、次にどんな音が来るのかをだいたい予測することができる。

これはAメロからBメロ、そしてサビといった曲全体の構成についても言えるし、単音やコードのレベルでも言える。

つまりC→Gのコード進行がきたら次はAmかな、といった感じに。

『音楽の科学』によると、我々は自身が所属するコミュニティの音楽に慣れ親しむことで、後天的にこのような予測の能力を身につけていくという。

人間は自分の予測が当たると嬉しいと感じる。

つまり快の刺激を得る。

でも予測が当たりすぎると、それはもはや未知ではなく当たり前のものとなっていく。

そうすると今度は飽き始める。

退屈な音楽になり得る1つの要因として、曲の進行が簡単に予測できるということが挙げられる。ここで「感動する音楽」にあるもう1つの要素が裏切りである。

予測していた音とは違った音が聴こえたとき、人はその曲の未知性に興奮する。

これからどうなっていくのかと、まるで冒険するかのようにワクワクしてくる。

サスペンス映画や推理小説でも同じことが言える。

予測していた展開と違っていると、どういう結末になるのかとワクワクしてくる。

ある程度の予測が可能な状態で不意に裏切りが訪れる時、人はそのギャップに魅了される。この絶妙なバランスが「感動する音楽」を創り上げている。

 

あ、実は俺、寝る直前にコーヒー飲んでも

爆睡できるタイプやねん。

 

ギャップに魅了された?

「こそあど」は迷子にならない!?

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自分に近いものは「こ」。

自分から少し離れているか、聞き手の側に指示対象がある時は「そ」。

遠くにあるものや、聞き手との共通の事柄について話している時は「あ」。

そして指示対象が不明確な場合には「ど」を使う。

これらは言語学の用語でダイクシスと言われている。

ダイクシスは使用場面によって相対的に使い分けられ、微妙な遠近の誤差はあるにしても日本人であれば「こ」を言う場面で「そ」を言うといった言い間違いは絶対にしない。

ある人や物の名前が瞬時に思い出せないことはあっても、ダイクシスが思い出せないということはない。

むしろ何かを思い出そうとするとき、我々は「あのー、アレやん、アレ。」と言っている。つまりダイクシスは感覚的な言葉と言える。例を挙げよう。

A:「ちょっと本取って。」

B:「え、どれ?」

A:「それその机の上にある本。」

B:「あー、これか。」

 

A:「あの人の名前、何やったっけ。」

B:「どの人?」

A:「先月飲み会した時にCさんと一緒に来てた人。」

B:「俺その飲み会行ってないから分からんわ。」

 

これらの場面において、下線で示したダイクシスを他のダイクシスと言い間違えることはないと思われる。それくらい身体に染み込んでいるダイクシスだが、中国語の場合、日本人の感覚ではあり得ないくらいにその使用法は柔軟である。

日本人:「今天你穿的裙子很可愛。」

(今日履いてるそのスカート可愛いな~)

台湾人:「不可愛,我才可愛對不對。」

そのスカートが可愛いんじゃなくて、私が可愛いんやろ。)

 

日本人:「我的一些朋友的話, 他們有想要喝酒的感覺的時候,突然來到我家開始喝酒。」

(俺の友達は酒飲みたくなったらいきなり俺ん家来て飲み始めるで。)

台湾人:「很好笑。你的朋友一直都這樣子嗎?」

(めっちゃおもろいやん。アンタの友達いっつもこんな感じなん?)

 

*日本人=TaiMax

 

この文脈で①「它」(それ)②「這」(こんな)を使うのは日本人の感覚からすればあり得ない。①は自分が履いているスカートな訳だから「これ」になるはずだし、②はその場には存在しない友達のことで、且つ「日本人」の友達であるわけだから「そんな」にならないといけない。

 

これに関して直接台湾人に聞いてみると、

「中国語では別にどっちでも大丈夫。」と返ってきた。

 

ザッケンナ!!

ナンデドッチデモダイジョーブヤネン!

 

ダイクシスはどの言語にもあるし、外国語を勉強する際には最初の方で学習する文法項目である。翻訳的に日本語の「こそあど」と対応付けるのは安直すぎるんちゃうか。

 

ところで、それ👇👇台湾で有名なお土産やから、

もしよかったら買ってみて。

あそこをクリックしたら買えるようになってるし。

 

 

あいさつする理由

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なぜどの言語にも挨拶があるのか。

新しい言語を学ぼうとすると、だいたい1ページ目にその言語のあいさつが一覧で載っている。

日本語の「こんにちは」は「今日は~ですね」という文が省略された形で、それが挨拶として定着するようになった。

英語では”How are you?”、

中国語では「你好」、

スペイン語では”Buenos dias”。

これらの言語だけを見ると、日本語とスペイン語は「日」に関する表現で、

英語と中国語は「人の健康状態」に関する表現となっている。他の言語ではどうだろう。

 

・フランス語 

 “Bonjour”(ボンジュール) 「良い日」

・韓国語 

 「アニョハセヨ」「安寧ですか」

・タイ語 

 「サワッディーカー」「吉祥の日」

・ドイツ語 

 “Guten Tag”「良い日となりますように」

 

ちょこっと調べてみたけど、やっぱり相手のことを想ったり、良い日・天気について表したものが多い。

でも現代では、元の意味を意味して使用するといったことは多くない。

”How are you?”って言って

”im not doing well. My throat hearts and also I have a terrible headache……”

みたいな感じで長々と返されても逆に困る。

じゃあどうして挨拶するのか。

 

挨拶はもしかしたら「私はここにいるよ」っていう

自分の存在を相手に知ってもらうためのものかもしれない。

ある意味、相手を察する「相察」でもいいんじゃね。

 

ちなみに、

「挨拶」は仏教の言葉で、ちょっと語源を調べてみると、

「挨」という漢字には「打つ」とか「押す」という意味があり、

「拶」には「近づく」「進む」という意味があるとのこと。

「お互いに押して、近づいて」という意味があるらしい~

 

ちなみに俺の上司に「挨拶は部下からするもの」と決めつけてるアホがおる

そのうち蹴っ飛ばしてやろうと思います。

「私」の誕生

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「私」という意識はどのようにして誕生するのか。

この世に生まれ落ちたとき、赤ちゃんは何を思っているのか。

おそらく、何も思っていない。

この時、赤ちゃんと世界はそれぞれ分離されていない1つの統合体である。

目に映る机や椅子といった存在物も一切区別されていない状態である。

いわば、赤ちゃん=世界の状態である。

顔の向きを変えればまた別の景色が見えるが、それもまた自身の別の在り方である。

つまり体を動かすたびに別の景色が見え、そのそれぞれが1つの世界であり、このとき世界は無数に存在している。

 

(あ~、表現するの難しいな。言いたいコト伝わってる?笑)

 

結論から言うと、「私」という意識は「私以外のモノ」との差異によって生まれてくるということ。

赤ちゃんは、生活の中で目に映っているモノが自身でコントロールできないことに気づく。手や足は自身でコントロールして動かすことが出来るのに、目に映っている机や椅子を浮かび上がらせることや、目の前にいる女性(母親)にミルクを持って来させることが出来ないことに気づく。

こうして徐々に統合体であった赤ちゃんと世界が切り離されていく。

これが進むと、世界の中のあらゆる物もそれぞれが個別の存在物であるという認識が生まれてくる。(ここで言語によるカテゴリー化が強力な手段として使用される。)

さらに進むと、世界からの差異として生まれた「私」が唯一無二の存在として自覚され始める。

従属的だった「私」が世界を乗っ取る瞬間である。

 

伝わった??笑

あーおもろ。

第2回 英ごっこ【お気に入りの場所紹介】

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1.はじめに

中学で3年、高校で3年、大学で4年、合計10年も英語を勉強しているのに、全く英語ができないっておかしくない? 

「全然できない」と言っている人も、実は少しくらいなら出来るはず。

まずは「英語×」という思い込みを払拭することから始めましょう。

 

2.このブログの読み方

①与えられた課題に沿って、まず自分で文を言ってみる。そして書いてみる。

②例を読む。

*あくまでも例です。100%の正しさを求めてはいけません。

「あ~こういう言い方もあるんだ」くらいの感覚で読んでください。

③文法、単語を復習

④もう一度、自分で文を作ってみる

 

3.今回のテーマ:

【お気に入りの場所紹介】

☆お気に入りの場所☆

・お気に入りの場所はどこですか。

・どんな場所ですか。

・そこで何ができますか。

・そこに何がありますか。

 

「                」

 

 

 

 

 

4.例文

” I am from Hyogo prefecture. So my favorite place is Koshien.

Every summer, high school baseball tournament takes place there.

Because it is very large and beautiful place, not only baseball, but also other activities take place. I sometimes go there with my friends. "

 

 

5.単語

so:だから

favorite:お気に入りの

place:場所

every:毎

every summer:毎夏

high school baseball:高校野球

tornament:トーナメント、大会

take place:行われる

large:巨大

beautiful:美しい、きれい

not only A, but also B:AだけじゃなくてBも

other:他の

activity:活動

also:~も

sometimes:時々

there:そこへ

go:行く

with:~と、~と一緒に

friend:友達

 

 

6.文法

☆代名詞☆

すでに述べた人物や場所を何回も繰り返すのはクドイですよね。

そんな時に使うのが代名詞です。

日本語でも「彼」「それ」「ここ」など色々ありますね。

以下は英語の代名詞となります。確認していきましょう。

 

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上の表からいくつか代名詞を選んで、文を作ってみましょう。

(例)

・I like playing soccer with them.

 (私は彼らとサッカーをすることが好きです。)

・We call him Tom.

 (私たちは彼をトムと呼びます。)

・A:Where are my shoes?

        (私の靴はどこですか。)

    B:Those are here.

          (それらはここにありますよ。)

 

☆形容詞☆

形容詞はある名詞について、具体的に述べる時に使用します。

たとえば、「ペン」という名詞も「長いペン」、「値段が安く、長くて赤いペン」のように、形容詞を付け足していくことで、どんどん具体性が高まります。

 

そんな形容詞ですが、基本的に2つの使い方があります。

 

(例)

① beautiful place (美しい場所)

② this place is beautiful. (この場所は美しい。)

 

①は”beautiful place”で1つの名詞(名詞句)となっています。

名詞をつくる場合、【形容詞+名詞】となります。

 

②は動詞(is)があるので、1つの文となっています。

文をつくる場合、【be動詞+形容詞】となります。

 

それでは下の形容詞と名詞を組み合わせて自由に英語をつくってみましょう。

 

 

<形容詞>

big(大きい)small(小さい)

long(長い)short(短い)

cute(可愛い)beautiful(美しい)

comfortable(気持ちがいい)delicious(おいしい)

  

<名詞>

room(部屋)bed(ベッド)

dog(犬)curry(カレー)

pants(ズボン)place(場所)

view(景色)house(家)

 

 

それではもう一度、

最後に【お気に入りの場所紹介】をしてみましょう!!

質問などがあればコメント欄へどうぞ!

  

See you next time(^o^)/