「私」の誕生
「私」という意識はどのようにして誕生するのか。
この世に生まれ落ちたとき、赤ちゃんは何を思っているのか。
おそらく、何も思っていない。
この時、赤ちゃんと世界はそれぞれ分離されていない1つの統合体である。
目に映る机や椅子といった存在物も一切区別されていない状態である。
いわば、赤ちゃん=世界の状態である。
顔の向きを変えればまた別の景色が見えるが、それもまた自身の別の在り方である。
つまり体を動かすたびに別の景色が見え、そのそれぞれが1つの世界であり、このとき世界は無数に存在している。
(あ~、表現するの難しいな。言いたいコト伝わってる?笑)
結論から言うと、「私」という意識は「私以外のモノ」との差異によって生まれてくるということ。
赤ちゃんは、生活の中で目に映っているモノが自身でコントロールできないことに気づく。手や足は自身でコントロールして動かすことが出来るのに、目に映っている机や椅子を浮かび上がらせることや、目の前にいる女性(母親)にミルクを持って来させることが出来ないことに気づく。
こうして徐々に統合体であった赤ちゃんと世界が切り離されていく。
これが進むと、世界の中のあらゆる物もそれぞれが個別の存在物であるという認識が生まれてくる。(ここで言語によるカテゴリー化が強力な手段として使用される。)
さらに進むと、世界からの差異として生まれた「私」が唯一無二の存在として自覚され始める。
従属的だった「私」が世界を乗っ取る瞬間である。
伝わった??笑
あーおもろ。