Tai-Maxの日記

私たちは日々の生活の中で膨大な量の情報にさらされています。知りたいことがあればインターネットを使ってすぐに調べることができます。まさに情報社会です。 しかしそんな情報に対する私たちの態度はどうでしょうか。 簡単に手に入る情報を鵜呑みにしてしまったり、そもそもよく調べないまま上辺だけの知識に留まってはいないでしょうか。 情報に対して受動的ではなく、能動的な態度で挑もうというのが『思考日記』のテーマです。 ここでの内容はあくまで個人的見解なので、異論は受け付けます。 ​皆さんも一緒に思考してみてください。

チンパンジー、言葉いらないってよ

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人間が言語を操ることができるのは主に、様々な音声を作り出せる生態的構造を持っていたという生理学的な条件と、それらを識別できる知性の2つの条件が備わっていたからと言われている。

たとえば鳥も様々な音を操ることができるが、知性が備わっていないため人間のような言語活動はできないし、知性の高いチンパンジーなどは逆に様々な音を生み出す身体の形態を有していない。

しかし実験と言う人為的な環境が与えられれば、チンパンジーでも言語っぽいものを使用することができるということは確認されている。

それは音声の代わりに、物を記号として使用するという環境である。

チンパンジーが自然な環境の下で言語を使用しないのは、彼らの生活には言語による世界の分化は必要ないからではないかと思われる。

言語は世界をより細かく分化し、詳細に語ることを可能にする道具である。

つまりそのことを遂行するにはより認知的なコスト(負荷)がかかってくる。

種によって生活の条件は異なっており、人間以外の生物にとっては、人間言語のような世界の処理の仕方は恐らくメリットよりもデメリットの方が大きいのであろう。

(↑↑マジでオススメ!!)

 

進化が種の保存や繁栄を目的としたモノであると仮定すれば、5つの感覚器官に加え言語をも操り、それによって虚構の世界を考えることも可能とした人間は恐らく一番弱い生命体なのかもしれない。

換言すると、生き残るためにはそれだけ多くの情報を処理しなければならないということだからだ。

他の生物に目を向けると、専ら少数の感覚器官のみが発達しているというのが少なくない。(さらに、人間には備わっていない能力を持った動物もいる。たとえば、マムシは赤外線が感知できたり、蜂は磁場を感知できたりする。)

これはつまり、彼らの生存にとって処理する情報量が少なくて良いということを意味しているのではないだろうか。

 

個人的には、もうちょっと味覚が発達してほしい。。。

ワインの味、全部一緒やん、、、