犯人視点で川崎事件を考察『明日死ぬとしたら、、、』
「明日死ぬとしたら、最後に何をしますか。」
このような問題は今までに何回も見てきたが、真剣に考えたことはなかった。
大きく分けて答えは2つに分かれると思う。
1つ目は「大切な人と一緒に過ごす」といった類の確実に自分を幸せに導くもの。
これはこれまでの人生経験ですでに既知となっていることであり、
おいしいものを食べるとか、楽しい場所に行くとかもここに含まれる。
もう1つは、今までにはなかったことを最後に経験したいという好奇心から来るもの。
ここで重要なのは、今までしてこなかった理由である。
チャンスはあったがしなかったのか、それとも物理的にできなかったのか。
後者の場合、その多くは倫理や法律といった規則に縛られていたが故にできなかったというのが多い気がする。
そして規則が設けられているということは、
その規則を破れば他人を脅かすことに繋がる場合が少なくない。
極端な例を挙げれば、強盗や殺人などである。
今回の川崎事件、肯定する気は全くないけど、犯人の動機を知る術ももはやなく推測の域を超えないけど、擁護する気も毛頭ないけど、被害者や遺族の気持ちを一切抜きにすれば、これまで規則に縛られて生きてきた自分を解放するための世の中に対する最後の抵抗だったと考えることもできる。
明日死ぬとしたら、何をしますか。
もしかしたら俺も規則を破るようなことをしてしまうかもしれない。