Tai-Maxの日記

私たちは日々の生活の中で膨大な量の情報にさらされています。知りたいことがあればインターネットを使ってすぐに調べることができます。まさに情報社会です。 しかしそんな情報に対する私たちの態度はどうでしょうか。 簡単に手に入る情報を鵜呑みにしてしまったり、そもそもよく調べないまま上辺だけの知識に留まってはいないでしょうか。 情報に対して受動的ではなく、能動的な態度で挑もうというのが『思考日記』のテーマです。 ここでの内容はあくまで個人的見解なので、異論は受け付けます。 ​皆さんも一緒に思考してみてください。

「私」の取り合い

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どうして「私」の複数形が「私たち」なのだろうか。

「あなた」の複数形が「あなたたち」であったり、

「彼」の複数形が「彼ら」というのはまだ納得できる。

「あなた」も「彼」も「私」ではない存在であり、

したがってそこに「私」だけが持っている唯一性といったものはない。

簡単に言えば、ただそこに存在してさえいれば成立する0か1かのモノである。

しかし「私」はそのような単純な存在物ではなく、確かに意識をもった「私」である。

唯一無二の「私」である。

その「私」の複数形とはどういうことなのだろうか。

「あなたA」と「あなたB」は「私」にとっては同じ価値をもっている。

しかし「私」と同じグループに属す「私B」は明らかに「私」よりも劣っている。

以上のことをもう一度言い直してみる。

「あなたA」と「あなたB」の場合、AとBを入れ替えたところで何も問題はないし、そのような操作は可能である。

一方、「私」と「私B」はそもそも入れ替えが出来ない。

「私」は「私たち」の中の他のどの「私」よりも優位に立っているのである。

そしてさらに興味深いのは、さっきまでは「私B」だった者が

「私たちは~」と語り始める時、すぐさま自身の優位性を取り戻すのである。

「私」の取り合い