「私」の取り合い
どうして「私」の複数形が「私たち」なのだろうか。
「あなた」の複数形が「あなたたち」であったり、
「彼」の複数形が「彼ら」というのはまだ納得できる。
「あなた」も「彼」も「私」ではない存在であり、
したがってそこに「私」だけが持っている唯一性といったものはない。
簡単に言えば、ただそこに存在してさえいれば成立する0か1かのモノである。
しかし「私」はそのような単純な存在物ではなく、確かに意識をもった「私」である。
唯一無二の「私」である。
その「私」の複数形とはどういうことなのだろうか。
「あなたA」と「あなたB」は「私」にとっては同じ価値をもっている。
しかし「私」と同じグループに属す「私B」は明らかに「私」よりも劣っている。
以上のことをもう一度言い直してみる。
「あなたA」と「あなたB」の場合、AとBを入れ替えたところで何も問題はないし、そのような操作は可能である。
一方、「私」と「私B」はそもそも入れ替えが出来ない。
「私」は「私たち」の中の他のどの「私」よりも優位に立っているのである。
そしてさらに興味深いのは、さっきまでは「私B」だった者が
「私たちは~」と語り始める時、すぐさま自身の優位性を取り戻すのである。
「私」の取り合い