Tai-Maxの日記

私たちは日々の生活の中で膨大な量の情報にさらされています。知りたいことがあればインターネットを使ってすぐに調べることができます。まさに情報社会です。 しかしそんな情報に対する私たちの態度はどうでしょうか。 簡単に手に入る情報を鵜呑みにしてしまったり、そもそもよく調べないまま上辺だけの知識に留まってはいないでしょうか。 情報に対して受動的ではなく、能動的な態度で挑もうというのが『思考日記』のテーマです。 ここでの内容はあくまで個人的見解なので、異論は受け付けます。 ​皆さんも一緒に思考してみてください。

これに名前をつけてください!!

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全然思い浮かばへん。。。

 

あるモノに名前をつけるということは、それに特別な地位を与えるということであり、他のモノと区別することが可能となる。

この名前の付け方には「表示性」と「表現性」の2つの観点から考えられなければならないとされている。

「表示性」はその物のカテゴリーを示す概念で、

「表現性」は名付けの対象となっているモノが独自に持っている特殊性を言い表す概念である。

例えば、「東京大学」という名前は「〇〇大学」ということで属しているカテゴリーが示されており(表示性)、

「東京」という名前で他の名古屋や京都といった場所の違い、いわば独自性(表現性)を表している。

大月(2008)『命名と名前:命名論の新たな地平』では、生物の命名には人間の生活が基盤となっていると主張している。

海や山といった人間が普通に生活できない場所に生息している生物には、

陸地に生息している生物の名前や特徴を借用して名づけが行われることが多いという。

たとえば、ウミウシ、ウミサボテン、ヤマイヌ、ヤマザクラ、などである。

このことは人間言語が既存のモノ(陸地の生物)を活用して、その創造性を発揮しているということを表していると言える。

この説を逆に展開していくと、つまり要素に還元していくと、人間言語というのは実際にはごく少数の語彙・構文だけがあり、人間の生活領域が拡大し命名する(べき)対象が増えるにつれて、持ち合わせていた語彙を生産的に利用するというプロセスを経て今に至ったのではないかと思えてくる。