「物」に価値はない!?
小学六年生の時、図工展に出す作品のテーマが「自分の宝物」だった。
みんなそれぞれが「自分の宝物」を学校に持ってきてそれの絵を描いた。
普段学校には持ってきてはいけない物を持って行くというドキドキ感があったのを覚えている。
私は野球のグローブとバットを持って行った。
昔の私の宝物は野球道具だったのだろう。
今の私にとっての宝物は何だろうか。
特にこれというものはない。
昨年、約13年住んだ家を離れる時、両親は私と弟が子どもだった時に書いた絵や写真が捨てられないと嘆いていた。
今となっては何の役にも立たないのに、それは立派な宝物であるらしい。
でもよく考えてみると、大事にしているのはその物自体ではなく、
その物を通して体験した「事」である。
私の例でいえば、小学生の私が大事にしていたのはバットやグローブそのものではなくて、それらを使ってしていた野球であったり、友達との練習の時間などである。
両親が大事にとっておいたのは、その絵ではなく、その絵を描いた時の私の様子であったり、当時の生の体験である。
つまり宝物とは体験を思い出すための媒体であり、
本当に大事にしているのは「事」なのである。
「宝事(たからごと)」。